皆さん、伊豆半島って以前は日本には存在しなかった、という事実をご存知ですか?
最近騒がれている東海地震、あれはどうして起こる可能性があるのでしょうか?
それもこれも、実は地球の表面のプレートの移動によるものと言われています。
そもそも日本は4つのプレートが交差しているところに位置していて、伊豆半島はそのうちのひとつ、「フィリピン海プレート」に乗っていて、その一番北側の先端にあるそうなんです。・・・
プレートは、厚さ数10キロから100キロメートルの岩板で、地球の内部の対流によって移動していて、フィリピン海プレートは本州の下に沈み込んでいるんだとか。
(そのひずみによって地震が起きる場合があるそうです)
その速度は、年間数センチ。
なぁ~んだ、たった数センチかぁ、と思いますが、地質学によると伊豆半島が作られたのは約3000万年前だそうで、その頃の伊豆は何と今よりも1000キロメートル以上も南の海、今で言う硫黄島辺りにあったそうなんです。
あんな遠くから移動してきたなんて!
しかも、当時の伊豆は、海底火山だったとか。
それが、海底火山から噴出した溶岩などが海底に堆積し、徐々にその姿を海面上に表わしつつ、プレートが北へ移動。
そして100万年から50万年前までに、伊豆は本州と合体し半島の形になったらしい。
また当時の伊豆半島はまだまだあちらこちらで火山の活動が活発で頻繁に噴火も起きていたそうです。
で、1枚目の写真ですが、ここは白浜大浜海岸の一番北側、白浜神社の裏です。
この辺りは「白浜層群」と呼ばれる地層に位置していて、その年代は1000万から200万年前に属していて、その頃はまだ浅い海だった時代で、この層には当時の貝殻やサンゴなどの化石がたくさん含まれているとか。
(白浜層群は実は総称で、伊豆半島にはこの地層が現在の半島南部の海岸から山中にかけてかなり広い範囲で分布しているようです。)
実は、昨年の11月から地元の新聞「伊豆新聞」に定期的に掲載されている「伊豆の大地の物語」を読んでいて、ものすごく興味があったんですね。
そこで、今日は実際にその化石を見に行ってきました、勇輝を連れて。
2枚目の写真、黄色い矢印が「貝殻」で赤い矢印はおそらく「サンゴ」ではないかと思います。 場所は、上の写真の鳥居のある岩の先端です。
新聞の記事にも「この辺りには大量の化石が・・・」と書いてありましたが、よくよく見ると、本当にそこらじゅうが小さな化石だらけだったんです! しかもびっしり!
いやぁ、びっくりしました。
今まで何度もここへ来たことがあるのに、まったく気が付きませんでした。
実は、以前、この場所ではないのですが、白浜の違うところの海沿いの崖でも、いっぱい詰まった貝殻の化石らしいものを見たことがあったのですが、その頃はそういう歴史があるものだとは知らなかったんです。
それにしても、自分たちの住んでいるところが遥か南の海から移動してきた、という事実に改めて驚かされました。
自然って、面白いですねぇ。
<参考リンク>
静岡大学教授 小山真人先生のHPより