人それぞれの人生とまだ見ぬ世界

060207couple001今日は、光里を学校に迎えに行く途中に海に行ってきました。

中央海岸の国道の脇に車を停めて、砂浜の方へ降りて行くと、遠くに船が1隻泊まっていました。

写真を撮ろうとカメラを向けた時、人影がファインダーの中に飛び込んできました。

観光客の方なんでしょうね。 ご年配のお二人でした・・・

見ていると、別段何を話す訳でもなく、ただのんびりと散歩を楽しんでいる、そんな感じでした。

でも、お互いに声をかけなくても、その歩く歩幅は同じ。 少し離れては、また寄り添って歩く。
何十年と一緒に暮らしてきた、まるでその二人の軌跡そのもの。

いいですよねぇ、こういうの・・・。

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そうそう、今日の本題。

さて、今日の写真に写っている船ですが、撮影した後で大きく引き伸ばして見てみると、その船体には「○○大阪セメント」と書いてありました。

写真で見ると、その大きさは見当がつかないのですが、かなり大きいです。(って、だからどのくらいじゃっつうの!)

たぶん、東京か横浜辺りから大阪に向かっていく途中なんでしょうねぇ。

時々思うのですが、上の写真のお二人もそうなんですけど、あの船にだっていろんな人が乗っているんですよねぇ。
そしてそれぞれにその人の人生がある。
たまたま今日は白浜沖にいるけれど、明日はどこへ行くんだろう。

そう考えると、ちょっくら船まで行って聞いてみたくなっちゃうんですけど・・・。

話は大きく跳びますが、江戸末期、下田の港にアメリカの黒船がやって来ましたね。
その時、吉田松陰は、あの船に乗って海の向こうの世界を見てみたい、と密航を企てました。
だけど計画は失敗。 そのせいで牢屋に入れられてしまう羽目になりました。

自分の知らない世界に行ってみたい、とか、知らないことを体験してみたい、というのは今の私達も持っている気持ちです。

ただ、あの時代にそう考える人がいたってことは、やっぱりすごいことだな、と思います。

鎖国政策をとっていたあの当時の一般の人達は、海の向こうのことを考えることなんてほとんどなかったでしょう。

現代なら、日本以外にもいろんな国があって、どういう国がある、ということはほとんどの人が知っています。 しかも簡単に海外に行けちゃうし。

吉田松陰とか、時代を動かす人達、いわゆる”選ばれし者”って、やっぱ違うんですよねぇ。

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