「今度の20日の試合、大仁中なんだって!どうしよう・・・。」
我が家の長男はバスケ部で、その試合がこの週末にあるのですが、その会場が大仁中学校なんだそうで。大仁へ行くとなると天城を越えて行かなくちゃいけないのですが、今度の土曜日はお客様がいらっしゃるので、私は自宅待機。。。。
ということは、息子を大仁中へ連れて行くのに若女将が一人で運転をしなくてはいけないのです。 これまでも、伊豆長岡中や函南中までは一人で運転してなんどかたどり着けるようになっているので、天城峠を越えるのは大丈夫なんでしょうけど、問題はその先。。。
大仁中へ行くには、修善寺を過ぎたところからバイパスを下りて、初めての道を運転しなくちゃいけないんですね。ところがこれが若女将にとっては大問題で。。。
本当は桜家の若女将は車の運転が大の苦手。普段は桜家から半径10キロが移動範囲、というかそこまでが限界なんです。
なので、全く知らない道を車で走ると、例えナビがあっても、どっちに行くんだっけ?どこを曲がるんだっけ?から始まって、細い道だったらどうしよう?とか、遅刻したらどうしよう?とか心配事が重なってパニックになるようで。
そうなると、車をぶつけちゃったりするのが心配で心配で身動きが取れなくなるみたい。。。(^^♪
なので、今日は私が運転をして大仁中までの道順の下見に、ドライブを兼ねて行ってきました♪
( あ、別に嫌々行ってきた訳ではありませんよ。苦手なことは誰だってあるし、そこはお互いにカバーし合えばいいでしょ♪ 夫婦だし、仕事上のパートナーでもあるしね。ハハハ。 )
前回天城を越えたのは4月1日。あの時は天城の桜はまだ咲いてなかったのですが、今回はもうすでにピークを過ぎていて。。。(1週間遅かったかな?)
見頃の時の天城の国道沿いの桜はそれはもう見事で、桜のトンネルになってたりして、ワクワクしながらドライブが出来るんですけどねぇ。今回は残念でした。
で、無事に下見が終わったので、帰りは天城の旧道を通ることにしたのです。
旧道なら標高が高いので桜もまだ咲いてるかなぁ?とちょっと期待したけど、あら?桜の木が全然ない! それか、もうとっくに花が終わっちゃってたのか、よく分からないんですけど、まぁ、期待外れということで。(笑)
それでも、久しぶりに旧天城トンネルを通って、寒天橋を渡り、どんなもんだか、様子が分かっただけでもいいか。
ちなみに、石川さゆりさんの歌でも有名なこの「寒天橋」の名前ですが、なんで「寒天」なのか知ってますか?
私もずっと前から不思議だったのですが・・・。
実は、その昔、この辺り、天城の山奥では「寒天」を作っていたと聞いたことがあります。
寒天って、あのカサカサした棒状になってますよね?
あれ、今では長野県とかで作ってるんですが、寒天は冬の時期に乾燥した冷たい空気にさらさないと作れないそうで、気温がものすごく下がるところで、しかもその寒い期間が長いところでないとダメなんだとか。
昔は、天城も冬ともなればかなりの雪が降っていたようなので、ここでも寒天を作れたんですね。
でも、今は昔ほど寒くないし、というか、寒い期間が短くなったので寒天を作る場所に適さなくなっちゃったみたいです。
ちなみに、寒天の材料になるのは何だか知ってます?
そう、天草(テングサ)という海藻なんですけど、白浜って昔は天草の水揚げが日本国内の40%もあったそうなんですよ。(驚)
村営で行われていたテングサ漁ですが、相当な量のテングサが採れたみたいで、その頃(昭和の30年ぐらいまでかな?未確認です。。。)はテングサの売り上げ(長野県から来る仕入れ業者に売っていた。)のおかげで、当時の白浜村では税金は一切なし。
おまけに、テングサ漁にかかわる人はもちろん収量によって給料をもらっていたそうですが、すべての村民までもが村から年にいくらという配当金をもらっていたという話を聞いたことがあります。すごいですよねぇ。。。。
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