今日は、下田へ買い物に行ったついでに、とある場所に行ってきました。
とある場所、とは下田港に浮かぶ「弁天島」。(と言っても、陸続きになっていますが)
下田は、江戸時代末期にペリーが来航した後、日本で始めて開港した土地として歴史にその名が記されています。
そして、ここはかの吉田松陰が下田の沖に停泊していた黒船に乗って渡航を企てたところ。
吉田松陰とその弟子の金子重輔は、ここへ来る前に蓮台寺にいた。
皮膚病を患っていた吉田松陰は蓮台寺の共同湯を利用いていたところ、村山行馬郎という医師に出会い、宿を提供されたのが吉田松陰寓寄処(旧村山邸・現在もそのまま残されています)。
ところが、密航を企てていることを知らされた村山行馬郎は、直前までその2階の隠し部屋にかくまったといわれています。
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そして、ついにその日、1854年4月24日、この島の祠に身を隠し夜明けを待って決行。
荒波を越え、やっとの思いでペリー艦隊ポーハタン号にたどり着き嘆願するものの、ペリーに拒絶され、その企ては失敗に終わってしまいます。
(この写真は大きな画像が出ますので、中の文章も読めますよ。)
その後、自首をした吉田松陰は、下田にて監禁された後、江戸へ連れて行かれ投獄されてしまいます。
場所は、下田の宝福寺。
ここは、1853年に日米和親条約により下田が開港されたあと、下田奉行都筑駿河守が宿舎とし、仮奉行所となったところ。
そして、1863年、下田に入港した大鵬丸に乗船していた土佐藩山内容堂がこの寺に宿舎をとり、たまたま順動丸で下田に避難していた勝海舟が訪れて坂本龍馬の脱藩の罪の許しを請い、認められたと言われています。
そう、だからここは「坂本竜馬飛翔の地」と言われているのですね。
で、とあるサイトによれば、その時、勝海舟の乗っていた船に坂本竜馬もいて、勝海舟と山内容堂の話の結果が知らされるのを待っていたという話もあります。
ところで、この間の日曜日から大河ドラマ「竜馬伝」が始まりましたね。
今回は福山雅治が主演ということもあり、若い人の中にも見る人が多いと思いますが、実は昨年の11月には下田でロケが行われたんですよ。(撮影の様子はこちら)
撮影場所は、下田の吉佐美大浜の隣り「舞磯浜」や「爪木崎」、河津町などだったそうですが、下田で収録した場面は、第3話、4話、5話、そして8話などで出てくるそうですので、是非ご覧ください。
ちなみに、吉田松陰が黒船に向かって船を出したシーンも撮影されたらしいのですが、どういう風にドラマ化されているのか楽しみです。
という訳で、今日は吉田松陰と坂本竜馬についてご案内したのでした。m(_ _)m
◆その後の下田と龍馬伝に関するブログページ