勇輝、大正時代へタイムトラベル♪ – – 下田・山善河岸

080228shimoda01今日は下田へ買い物に行ったついでにちょっと寄り道をしてきました。

ここは、下田市内の「山善河岸」というところ。

市内を流れる稲生沢川沿いの河口で、たくさんの漁船やクルーザーが停泊しています。

この場所(もっと向こうの方ですが)は、数年前までは「黒船祭」の時にアメリカの軍艦見学の際に、外洋に停泊している軍艦へ見学者を乗せていく船(はしけ)が発着していたところでもあります。
同時多発テロ以降、その見学はなくなってしまいましたが。

さて、実はこの場所はとある小説で有名なんですよ・・・

 


 

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それは、日本が世界に誇るノーベル文学賞の受賞者「

川端康成

」の「踊り子」です。

修善寺と湯ヶ島で出会った学生と踊り子が最後に別れる場面の舞台となったところですね。

川端康成

が初めて伊豆、そして下田と訪れたのは大正7年、彼が19歳の時だそうです。

そして小説「伊豆の踊り子」が世に出たのは、その8年後の大正15年。

その頃は、東京と下田他を結ぶ蒸気船が航行していて、「伊豆の踊り子」が出版された昭和初期から数多くの観光客が下田に来たらしいですね。
下田の奥座敷「

蓮台寺

温泉」もその当時は大変な賑わいだった、と地元の人に聞いたことがあります。(実際、

川端康成

も大正の頃、

蓮台寺

に宿泊しています。)

で、ここ「山善河岸」は、その船に乗り込むための「はしけ」の乗船場所だったそうです。

「踊り子」の青年もその船に乗り、どこへ向かったのか・・・?

当然、今はその当時の面影はなく、私も普段は何気なく素通りしていましたが、こんな写真を見ていたらそんな事に思いを巡らしたのでした。

 

我が息子「勇輝」もそんなことを考えるときが来るのかなぁ。

 

◆当時の船着場の写真はこちらのHPでご覧ください。

◆こちらには明治・大正時代の蒸気船の写真をたくさん見ることが出来ます。下田での写真もあります。これだけの資料を集めるのは大変な労力だったと思います。

  
 

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