昨日は仕事をしながら時々テレビを見ていました。
あの日から1年ですね。
去年のあの日、我が家では勇輝のお友達が3人遊びに来ていました。
そしてあの時間、あっ、地震だ!と思い、玄関脇の部屋にいた私は急いで階段を駆け下り、勝手口のドアを開け、いつでも外に逃げられるようにしました。
勇輝と遊んでいたお友達には「大丈夫だよ。」と声をかけましたが、一人の女の子が驚いて泣いてました。
地震は、それほど大きな揺れではありませんでした。
ただ、時間は長かったです、かなり。 あれほど長い間揺れたのは初めてでした。
揺れが収まったところで、子供達を連れて外へ出ましたが、余震はなかったのでまた家の中へ戻りました。
すぐにテレビをつけると、地震情報が流れていて、東北の方で大きな地震があったことを告げていました。
その後しばらくして、今度は巨大な津波が襲っている映像が写り、これには我が目を疑いました・・・・・・。
しかし、その日の夕方には電話が鳴り始め、メールが来るようになりました。
キャンセルの連絡でした。
時間が経つにつれ、日を追うごとにキャンセルは増え続け、わずか数日のうちに3月12日以降の夏まで入っていた予約はほとんどゼロになってしまいました。
あの津波の映像とともに、原発の事故の報道は全世界を駆け巡り、それらの報道を見た人の中には恐らく、日本は終わった、とか、沈没した、と思った人も多かったことでしょう。
桜家は全体の5割以上が外国人のお客様でしたので、海外の人たちは、放射能に汚染された国へは行けない、とか、またいつ地震が起きるかもしれない、と考え、キャンセルをされた方がほとんどだったと思います。
また日本にいた外国人の人たちの多くが日本を離れ、国へ帰ってしまったようで、帰った後にその国からメールで「もう日本を出てしまいましたので行けなくなりました。」と連絡をしてきた人もいました。
その後、日本に戻ってきた人もたくさんいるんでしょうけど、日本から引き上げることを決断した人もかなりの数でいたようです。
あの震災と事故から1年が経ち、また日本へ旅行に来る人たちはひと頃よりは増えてきてはいるでしょうが、桜家はというと、本来なら今の時期には海外から春以降の予約の申し込みが増えるのに、今年はさっぱりです。
今朝の新聞に、日本の食品の輸入に対して制限をしている国がまだ数十カ国ある、と書いてありました。
海外での日本の放射能に対する風評被害は、まだまだ収まっていないんですね。
当の日本に暮らしている私たちの方が気にしなくなっている感覚があるというのに・・・。
ただ、原因はそれだけではないでしょう。
ギリシャの財政危機を含むEU各国の経済の低下、これまで世界の経済を牽引してきた中国などの新興国が低成長に転じ、新興国への貿易で何とか経済を回してきた欧米各国では、失業率が上がり、当然ながら消費も低迷、福祉をカットされるかもしれないという可能性から将来への不安が国民の間に広がり・・・。
こんな状況では、先行きに不安はあっても希望はない、のがやはり現実かもしれません。
つまりは、過去の状態には戻れない可能性が高い、と覚悟を決めて、対策を立てることも必要かも。 (あっ、諦める、ということではありませんので)
でも、私達は被災したわけではありませんし、家族はみんな元気で暮らせているので、これだけでも有難いと思わなくてはいけないですね。
(そうそう、朱里が先週から今季2度目のインフルエンザで寝込んでました。 今回はB型。 2つもかかるなんて珍しいそうです。 39度まで熱が上がりましたが、今日やっと別の部屋に隔離された”軟禁状態”から開放され、本人は喜んでます。)
まだとりあえず住むところはあるし、平穏な日々が続いていることに感謝をしなくてはいけません。
と、昨日は午後2時半からの追悼式の映像を見ながら、そんなことをあれこれと考えていました。
で、黙祷の時間が終わり、土曜日から勇輝と約束していたので、外で二人で遊びました。
勇輝、サッカーもバドミントンも上手になっていますよ♪
海の見えるペンション桜家 下田・白浜海岸